2012年11月13日火曜日

:狩猟採集生活から食料生産生活へ

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● 2012/03/16[2000/**]




人類史の大部分を占めるのは、「持てるもの(Haves)」と「持たざるもの(Have-nots)」との間でくりひろげられた衝突の数々である。
しかも、この衝突は、対等に行われたものではなかった。
つまり、人類史とは、その大部分において、農耕民として力を得た「持てるもの」が、その力を「持たざるもの」や、その後追い的に得たものたちに対して展開してきた不平等な争いの歴史である。



 食糧生産開始の地理的な時間差が、人びとのその後の運命を大きく左右している。
 摂取できるカロリーが多ければ多いほど人口が増える。
 ところが野生の動植物には、狩猟採取して食用に供する価値のあるものは少ない。
 野生種の動植物はほとんど、次にあげる理由のうち少なくともひとつに該当するため、人類の食用に適していない。
1.樹皮などのように人間が消化できないもの
2.テングダケのように毒のあるもの
3.クラゲのように栄養価の低いもの
4.小さな木の実のように料理するのが面倒なもの
5.昆虫の幼虫のように集めるのが大変なもの。
6.サイなどのように危険で捕まえられないもの。
 地球上の利用可能な生物資源(バイオマス)の多くは、われわれが消化できない樹木や木の葉として存在しているのだ。

 食用にすることのできる数少ない動植物を選んで育てれば、農耕民は狩猟採集民のほぼ10倍から100倍の人口を養うことができる。
 家畜は肉や乳、肥料を提供し、また鋤をひくことで食料生産に貢献する。
 そのため家畜を有する社会ではそうでない社会よりも多くの人口を養うことができる。
 家畜の直接の貢献としてはまず第一に、野生の獲物にかわって、動物性タンパク質の供給源になる。
 たとえば、現代のアメリカ人は動物性タンパク質のほとんどを、牛、豚、羊、鶏などから摂取している。
 大型の哺乳動物は、家畜として乳やチーズ、ヨーグルト、バターなどの乳製品を供給する。
 人類は、牛、羊、山羊、馬、カモシカ、水牛、ヤク、それにヒトコブラクダやフタコブラクダなどから搾乳している。
 こうした家畜は一生にわたって乳を出し続けることができ、屠殺され肉となって食べられてしまう場合の何倍ものカロリーを提供できる。

 大型の家畜は、次の2つの点において、栽培作物の生産増加に貢献している。
 まず第一に作物の収穫量は大型動物の糞を肥料として利用することで大幅に増やすことができる。
 第二に鋤をひくことのできる大型の家畜は、それまで濃厚に不適であった土地の耕作を可能にし、食糧増産に貢献する。
 人類は、牛、馬、水牛、バリ牛、ヤクと牛の混血種などを使役動物として使っている。

 このように、動植物の栽培化および家畜化は人口の稠密化に直接的に貢献している。



 人類の食料生産の起源については、間違った思い込みがいくつかあり、それらを一掃したうえで、前記の疑問を別の形で問いかけてみたいからである。
 まず、人類が食料を生産する方法を「発見した」とか「発明した」とかいうのはわれわれの思い込みであって、事実ではない。
 狩猟採集生活を続けるか、それともそれはやめにして食料の生産をはじめるかという二者択一で、農耕民になることを意識的に選択した例は、現実にはほとんどない。
 
 もう一つの間違った思い込みは、移動しながら狩猟採集生活を営む人たちと、定住して食料生産に従事する人たちとは、はっきり区別されるものだ、という考え方である。

 土地を自分たちで管理するかどうかも、食料生産者と狩猟採集民を区別する特徴だと思われているが、現実にはこの点で両者をはっきり分けることはできない。

 農耕をはじめた人たちは、食料を得る方法が他になかったためにはじめたわけではない。
 狩猟採集生活と食料生産生活は、二者択一的に選ばれたわけではなく、食料獲得戦略の一つとして、幾つかの生活様式のなかから選ばれたのである。



 とはいえ、この1万年間に見られる大きな傾向は、狩猟採集生活から食料生産生活の移行である。
 したがって、次に問うべきは、狩猟採集生活から食料生産生活へと移行させた要因はなんであったか、ということである。
 この問題は、これまで考古学者や人類学者の間でいろいろ議論されてはいるが、いまで結論は出ていない。
 その理由の一つは、人びとを狩猟採集生活から食料生産生活へと移行させた要因が世界的に同一ではなく、土地によって問題となる要因が異なることだと思われる。
 もう一つの理由は、何が原因で、何が結果であったのかの切り分けが難しいということである。
 しかしながらこの問題は、おもに「5つの要因」の相対的な重要性をめぐって論議されており、その要因がどういうものであったかは同定することができる。

 その一つの要因は、この13,000年の間に、入手可能な自然資源(特に動物資源)が徐々に減少し、狩猟採集生活に必要な動植物の確保がしだいに難しくなったということである。
 大型動物の絶滅の原因を気候の変化にもとめる説もあれば、狩猟技術の向上と狩猟者の増加とする説もある。
 野生動物の絶滅と食料生産の開始に因果関係があることを示す例は多い。

 第二の要因は、獲物となる野生動物がいなくなり、狩猟採集が難しくなったまさにその時期に、栽培可能な野生種が増えたことで作物の栽培がより見返りのあるものになったことである。
 更新世の終わりに気候が変化したため、野生種の穀類に自生範囲が大幅に拡大した。
 その野生種収穫物にまじっていた種子が徐々に栽培化される過程を経て、大麦や小麦が農作物として栽培されるようになった。

 人間が飼育栽培化した動植物種は、自生の野生種と形態的に異なることが多い。
たとえば、家畜化された牛や羊は野生種よりも小さく、鶏やリンゴは野生種よりも大きく、エンドウは種皮が薄くなめらかになっている。

 第三の要因は、食料生産に必要な技術、つまり自然の実りを刈り入れ、加工し、貯蔵する技術がしだいに発達し、食料生産のノウハウとして蓄積されていったことである。
 ノウハウを蓄積することで人びとは知らず知らずのうちに野生植物を栽培化する方向に歩みはじめていたのである。

 第四の要因は、人口密度の増加と食料生産の増加との関係である。
 食料を生産しはじめると、狩猟採集よりも土地面積あたりの産出カロリーを高めることができ、より多くの人口を養うことが可能になり、それが人口密度の増加へとつながる傾向にある。
 そして人口密度が上昇するにつれて、それに見合う食料を確保する手段として、食料生産がますます加速されるようになる。
 このプロセスでみられるのは「自己触媒」と呼ばれる作用になぞらえることができる。
 自己触媒的過程においては結果そのものがその過程を促進をされに早める正のフィードバックとして作用する。
 人口密度の増加は、ますます人びとを食料生産に駆り立て、その結果、地域の人口密度はさらに増加する。
 やがて定住して食料を作りだすようになると、出産間隔が短くなり、より多くの子供が生まれ、より多くの食料が必要になる。
 食料生産と人口密度の因果関係が双方向的に作用しているため、栄養状態においては農耕民のほうが狩猟採集民より劣っているという矛盾が発生する。
 この矛盾は、入手可能な食料の増加率より、人口増加率のほうがわずかばかり高かったことによって生じているのである。

 最後の要因は、狩猟採集民と食料生産者が接触をする地域でもっとも決定的な役割を果たしたものである。
 それは食料生産者が狩猟採集民より数の上で圧倒的に多かったために、それを武器に狩猟採集民を追っ払ったり殺すことができた(技術的により発達し、各種疫病への免疫をもち、職業軍人を有していたことなどが有利に働いた)。
食 料生産に適したところでありながら、狩猟採集民が近代にいたるまで生き延び続けることができた地域は、地理的な理由や、環境的な理由で、食料生産者の移住が困難であったり、食料を生産するための技術の普及が難しかった地域である。
 しかし、彼らにしても、ここ10年のうちに、都市文明の誘惑に負けてしまう可能性がある。
 政府の政策や宣教師の指導によって定住生活をはじめてしまうか、各種疫病の犠牲になってしまうかもしれない。




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