2012年11月17日土曜日

:なぜ中国でなくてヨーロッパが主導権を握ったのか


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● 2012/03/16[2000/**]



 西暦1000年から1450年においても、科学や技術はおもに、インドから北アフリカ大陸に広がるイスラム社会からヨーロッパの社会に向かって流れていのであり、その逆ではなかった。
 この時代において世界をリードしていたのは、肥沃三日月地帯と同じぐらい早い時期に食料生産を開始していた中国だった。
 肥沃三日月地帯や中国は、後発組のヨーロッパの数千年先を行っていた。
 それなのに、なぜ、彼らはその圧倒的リードを徐々に失っていったのだろうか。

 肥沃三日月地帯が圧倒的なリードを失ってしまった理由については答えがはっきりしている。
 この地域の人びとがはじめの一歩を早く踏み出せたのは、適性のある野生種に恵まれていたからである。
 しかし、彼らが地理的に有利だったのは、その点においてだけであった。
 紀元前4世紀の終わりに、アレキサンダー大王がギリシャからインド東部までの全域を征服すると、権力の中枢は西へ移り、肥沃三日月地帯から永久に離れてしまう。
 そして、紀元前2世紀のローマによるギリシャの征服によって、権力の中枢はさらに西へ移動する。
 ローマ帝国の滅亡に伴い、今度はヨーロッパ西部および北部へと移動していった。
 
 こうした変化をもたらした要因は、肥沃三日月地帯の現状と古代の記述を比べてみれば一目瞭然である。
 現在、「肥沃三日月地帯」を「世界をリードする食料生産地」とみなすことは、あまりにもばかげている。
 かっての肥沃な土地の大部分は農業に不向きな砂漠か、それに近い乾燥地や草原地帯(ステップ)になり、土壌の風化や塩害が進んだ土地になってしまっている。
 現在、この地域の人びとは、使いきってしまえば再生できない石油という資源に頼りきっている。

 中国は、肥沃三日月地帯と同じくらい古い時代に食料生産をはじめていた。
 北部から南部に、そして沿岸地帯からチベット高原にまで広がる中国は、地形や環境の変化に富み、多様な作物や家畜や技術が誕生している。
 世界最多の人口を誇り、生産性に富む広大な土地を所有している。
 肥沃三日月地帯ほど乾燥していない。
 生態系も肥沃三日月地帯ほど是4位弱ではない。
 西ヨーロッパより環境問題が深刻化しているとはいえ、食料生産の開始から1万年を経た現在でも、生産性の高い集約農業が行われている。
 これらを考慮すると、中国がヨーロッパに遅れをとってしまったことは意外である。

 中国は、初めのの一歩を早く踏み出している。
 そしてさまざまな有利な点を備えていた。
 それゆえに、中世の中国は技術の分野で世界をリードしていた。
 鋳鉄、磁針、火薬、製紙技術、印刷術といったさまざまなものがある。
 政治制度の発達においても世界をリードしていた。
 航海術や海洋技術にも優れていた。
 15世紀初頭には大船団をインド洋の先のアフリカ大陸東岸にまで送り出していた(訳注:鄭和の南海遠征)。
 数百隻で編成されたこの船団には船体が400フィートに達する舟も含まれていた。
 乗組員は2万8千人にも達した。
 たった3隻のコロンブスの船団が大西洋を渡ってアメリカ東岸に到達する何十年も前に、インド洋を越えてアフリカ大陸にまで達していたのである。

 ではなぜ中国人は、アフリカ大陸の最南端を西に回ってヨーロッパへいかなかったのか。
 なぜ中国人はヨーロッパを植民地化しなかったのか。
 なぜ中国人は、太平洋を渡って、アメリカ西海岸を植民地化しなかったのか。
 言い換えれば、なぜ中国は、自分たちよりも遅れていたヨーロッパにリードを奪われてしまったのだろうか。

 これらを解く鍵は、船団の中止にある。  この船団は、西暦1405年可ら1433年にかけて7回にわたって派遣された。
 その後は中国宮廷内の権力闘争の影響をうけて中止された。
 これは宦官派とその敵対派の構想であったが、この種の政治的争いはどこの国でもよくあるものである。
  船団派遣政策を推進していたのは宦官派だったが、敵対派が権力を握ると船団派遣はとりやめになった。
 やがて造船所は解体され、外洋航海も禁止された。
 国内の政治状況に対応するため、既存の進んだ技術を後退させていったことは多くの国々にみうけられる。
 だが、中国は国全体が統一されていたという点で、それらの国々とは異なっていた。
 政治的に統一されていたために、ただ一つの決定によって、中国全土で船団派遣の中止が中止されたのである。
 ただ一度の一時的な決定のために中国全土から造船所が姿を消し、その決定の愚かさも検証できなくなってしまった。
 造船所を新たに建設するための場所さえも永久に失われてしまったのだ。



 中国とは対照的だったのが、大航海時代がはじまった頃のヨーロッパだった。
 当時のヨーロッパは政治的に統一されていなかった。
 イタリアうまれのクリストファ・コロンブスは3人の君主に断られ、4番めに仕えた君主によって、願いがかなえられたのである。
 もしヨーロッパが一人の君主によって統一支配されていたら、ヨーロッパ人によるアメリカの植民地化はなかったかもしれない。
 正確に言うならば、ヨーロッパに何百人もいた王侯の一人をコロンブスが5回目にして説得できたのは、
 ヨーロッパが政治的に統一されていなかったおかげ
なのである。

  ヨーロッパと中国は際立った対象を見せている。
  中国の宮廷が禁じたのは海外への大航海だけではなかった。
  たとえば、水力紡績機の開発を禁じて、14世紀にはじまりかけた産業革命を後退させている。
  世界の先端をいっていた時計技術を事実上葬りさっている。
 中国は15世紀末以降、あらゆる機械や技術から手を引いてしまっているのだ。
 政治的な統一の悪しき影響は、現代中国にもあらわれている。
 1960年代から70年代にかけての文化大革命においても噴出している。
 ほんのひとにぎりの指導者の決定によって国中の学校が、5年間も閉鎖されたのである。

 中国の統一も、ヨーロッパの不当いつも、昔から綿々と続くものである。
 中国では、人びとが文字を使いはじめて以来、ただ一種類の文字を使い続けてきた。
 文化的にも、過去2千年間、ほとんど一つにまとまっていた。
 これに対して、ヨーロッパが政治的統一に近づいたことは一度としてない。
 14世紀後半では1000の小国がひしめいていた、
 1500年には500となって、1980年には25に減じた。
 しかし、私がこの文章を書いている時点では、また少し増えて40になっている。
 ヨーロッパには、それぞれ独自のアルファベットを使う45の言語がひしめいている。
 文化的違いはもっと大きい。
 今日(1997年時点)では、ヨーロッパ経済共同体によってヨーロッパを統一しようという温厚な計画でさえ、意見の一致が見られず挫折している。
 それは統一を嫌う伝統がヨーロッパに深く根付いているからである。

 つまり、政治や技術の分野において、中国が自分たちより遅れていたヨーロッパにリードを奪われてしまった理由を理解しようとすることは、すなわち、
 中国の長期にわたる統一とヨーロッパの長期にわたる不統一という理由
を理解することになるのである。

 中国では紀元前221年に統一国家が形成されてからは、分裂が長きにわたって続くようなことはなかった。
 分裂状態は何度かあったが、そのたびに再統一という形で終止符が打たれてきた。
 これに対してユーロッパでは、絶頂期にローマ帝国でさえ、ヨーロッパの全土の半分を支配したことはなかった。
 
 自然の障壁がさほどなく、地域の地理的結びつきが強かったことは中国の統一に有利に働いている。
 自然環境の障壁が少ない場所では、技術は伝搬しやすい。
 しかし、中国では、地域の地理的結びつきが強かったということがかえって逆に作用する。
 すなわち、一人の支配者の決定が全国の技術革新の流れを、再三再四にわたって止めてしまうようなことが起こっている。
 これとは逆に、分裂状態にあったヨーロッパでは、自然の障壁が政治的統一をさまたげはしたが、それは技術やアイデアの伝播を妨げるほどに大きな障壁にはならなかったということである。
 このように比較していくと、技術の発達は、地理的結びつきから、プラスの影響と、マイナスの影響を受けることがわかる。
 過去1000年の技術の発達でいえば、中国は地理的結びつきのもっとも強かった例であり、ヨーロッパは中程度だった例である。
 そしてインド亜大陸はもっとも弱かった例になる。



 肥沃三日月地帯と中国の歴史は、現代のわれわれに有益な教訓を示している。
 それは、環境は変化するものであって、輝かしい過去は輝かしい未来を保証するものではない、ということである。
 インターネットで瞬時に情報がやりとりでき、飛行機が一晩で物質を大陸から大陸に運んでしまう現代にあって、地理的要因に基づく本書の説明がどれだけ有効なものかという疑問が当然湧いてくる。
 世界の人びとは、いまやまったく新しい原理に基づいて競争しているように思えるかもしれない。
 台湾、韓国、マレーシア、そしてとりわけ日本の台頭はまさにその結果であると思えるかもしれない。
 しかし、この新しい原理も、よくよく考えてみると、これまでの原理の別形態にすぎないことがわかる。
 現代という時代にあっても、新しく台頭して力を掌握できる国々は、数千年の昔に食料生産圏に属しえた国々である。
 あるいは、そういうところに住んでいた人びとを祖先にもつ移民が作った国々である。



 取るに足りない特異な理由で一時的に誕生した特徴が、その地域に恒久的に定着してしまい、その結果、その地域の人々をがもっと大きな文化的特徴を持つようになってしまうことも起こりうる。
 これが可能なことは、他の科学の分野では、最初の状態の小さな差異が時間とともに大きく変化し、予測不能な振る舞いをすると唱える「カオス理論」が示している。
 こうした文化的過程は、いわば歴史自身が手にしているワイルドカードである。
 そして、歴史の予測不能な側面は、このワイルドカードのなせる技でもある。
 一時的に誕生した特徴が、地域に恒久的に定着してしまった例として、タイプライターのQWERTY配列キーボードがある。
 このキーボードは、何種類かあったうちの一つだったにすぎない。
 環境とは無関係な文化的特異性が当初もっていなかった影響力を徐々に獲得し、長時間持続するものに発展しうることを示していう。

 個人の特質もまた、文化的特異性とおなじように、歴史のワイルドカードである。
 歴史はこのワイルドカードがあるため、環境的要因やほかの一般的要因では説明できない部分を秘めているのである。






「世界には、なぜこんなにも格差があるのか」
ピュリツァー賞受賞作がついに映像化
http://nationalgeographic.jp/nng/movie/gunsgermssteel/index.shtml

人類が誕生してからの歴史をたどる時、ある大きな謎にぶち当たる。
世界はなぜ均一ではないのか。地域間の格差がある理由は何か。
アフリカ、ヨーロッパ、アジア、南北アメリカ、オセアニア・・・・。

人類は世界各地で多様な社会を築いてきた。
21世紀の現在、高度な工業社会に暮らす人々もいれば、伝統的な農耕牧畜生活を続ける人々、さらには数千年前から変わらず狩猟採集を暮らしの基盤とする人々もいる。
そして、ある文明に属する人々は征服者となり、その一方で、ある文明に属する人々は征服されてきた。

米国カリフォルニア大学ロサンゼルス校教授、ジャレド・ダイアモンドはその謎の答えを求め続けてきた。
専門とする地理学者の立場だけでなく、分子生物学、進化生物学、考古学、文化人類学など、幅広い分野の最新の研究をもとに、世界各地を旅し、一冊の著作にまとめた。1997年に発表された『銃・病原菌・鉄』(原題:Guns, Germs, and Steel)は米国だけでなく、世界各国で衝撃とともに迎えられ、ベストセラーとなり、さらに、1998年度ピュリツァー賞(一般ノンフィクション部門)を受賞している。

DVD BOX『銃・病原菌・鉄』は、人類史の謎に対するダイアモンドの説をもとに構成されている。
ナビゲーターとしてダイアモンド自身が登場、世界各地を訪ねながら、解説をする。

【ジャレド・ダイアモンド氏 特別インタビュー】
「銃・病原菌・鉄」の今






[ ふみどころ:2012 ]



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